2022年5月15日日曜日

江戸を支えたボラの群れ

ボラ。というとどんあイメージだろうか。海に近い川、それもコンクリートで固められた小さな溝のような川に異様なほどの群れで現れ「大量の魚が川で群れています」などという報道を思い浮かべるくらいで、ほとんどの人が口にしたことは無いと思う。でもなぜか「泥臭い魚」としてとても有名。都会の小さな川で群れ、ギョロっとして大きな目とムフっとした口、大きな鱗で丸長い魚体は、お世辞にも美味しそう!と思う見た目ではない。思うけど、実際のところはそんな不味い魚ではない、というかとても美味しい魚だ。



伊東の鮮魚店ではたまに見かける。全長40センチ程度のボラは、夫婦二人だと夕食には持て余す大きさ。それが200円くらいなのでおコストパフォーマンスは抜群だ。けど、ヌメリもあるし、硬くて大きい鱗を取ったりするのはちょと大変。近所の古いお宅(古くなくてもだけど)には家の外にシンクがあることが多いのだけど、うん、理由がわかる・・・
この辺では沖ボラと呼ぶみたいだけど、寒ボラという用語もあるみたいで、寒ボラで検索をかけると、もはや高級食材扱いである。ボラの卵は3代珍味のひとつ「からすみ」の元なので、卵を持ったメスが超高級魚なのはわかるのだけど・・・

 江戸時代、ボラはとてもメジャーな魚だったようで、実はブリのように出世魚だ。10センチくらいまでをオボコ、その上の15センチくらいまでをスバシリ、30センチくらいまでがイナ、50センチまでをボラ、それ以上がトド。となる。
ことわざというか、言い回し的な言葉にもボラは結構あって、かわいい子供のことを「オボコだねぇ」というし、「とどの詰まり」はそれ以上は無い、最終的に。という意味に使う。出世魚の活用だ。「粋でイナセな」のイナセはイナの背であって、魚河岸のヤンチャな若い衆に流行っていたちょん髷のスタイルだそうで、現代でいえばテカテカのリーゼントな方を、ロックだ、という表現にでもなるだろうか。あぁ、でも「イナ」の時点で「青年」的な意味合いがあるとするとオジサンロッカーには使えない(または誉め言葉になるか)。

 そんな風に日本語に定着するほど一般的だったボラは、スノーケリングするような浅瀬でウロウロ泳いでいるような魚だ。だから江戸の時代からメジャーなのかというとそうではなく、江戸の食糧事情と将軍様の育ちが関係しえいるようだ。
 ボラは春と秋に物凄い群れになる。ダイバーの間では、バラクーダという南国のカマスの群れにあやかって「ボラクーダ」と呼んでいるものだ。ボラクーダは比較的浅瀬を泳ぐ、特に深場への斜面から一桁メートルの浅瀬になるようなエッジのあたりで遭遇することが多く陸からでもわかるほどで、海面がバシャバシャと異様に波立っているとボラクーダの可能性が高い。
江戸時代には、このボラの群れを見張る小屋が海岸に設置されていて、群れを見つけると太鼓やらで村に合図し、気づいた村人がフォーメーションを組んで複数の船を緊急出動し、ボラの群れを浅瀬に追い込んで一網打尽にしたらしい。伊東市富戸の港の外れには「ボラの魚見小屋」という小屋の再現があるし、ボラ納屋という小屋も保存(というか食堂になっている)されているくらい、ボラの一網打尽は歴史に残されている。
 一網打尽にされたボラは「押送船」(おしょくりぶね)という高速船で江戸へと運ばれて庶民の口に入る。ちなみに、有名な葛飾北斎の神奈川沖浪裏にある細長い船が押送船とのことだ。

このシステムを考えたのは、あの暴れん坊将軍、徳川吉宗だったらしい。元々は田舎の村であり、魚類を含む食料の大量供給が江戸では難しかったところ、紀伊で盛んだったボラ漁を紀伊徳川家だった吉宗が「伊豆辺りでボラ獲って江戸に運ばせればいいじゃん?」的に言ったとか言わないとか。爆発的に人口が膨れ上がった「巨大都市江戸」の庶民の胃袋を支えた重要食材に、伊豆のボラがあったと言ってもいい、かもしれない。

そう思いながら伊豆の水中でボラクーダに遭遇すると、余韻が長くなって面白い(笑)

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