2022年5月26日木曜日

たかがブダイ、されどブダイ

ブダイは伊豆半島ならごく普通に見られる魚だ。普通過ぎてダイバーは話題にもしないが、見かけるときは大概の場合1固体、2個体とか。周辺に複数個体いたとしても、統率のある群れ行動をしているようには見えない。ただ、春先に15センチ程度の若いブダイが5~10個体で群れていて、ダイバーを避ける動作がまさに「群れ」ぽいということはあるので、若いころは群れてるのかな?とは思ってた。

と、あるとき成熟しているであろうブダイの大群に出会った。


これは4月末。水温18度で、沖合に面した岩礁斜面の入口だ。
クロホシイシモチの大群の向こうに、大きな体の魚が名が群れているので「なんだろう?」と目を凝らしてみるとブダイだった。
固体の大きさは25センチ前後だろうか、帯のように斜面沿いを移動しているのだが、何か目的があるかのように真っ直ぐに移動している。 
 この斜面では夏になるとイシガキダイが群れになって移動するのが見られる。多い時には50を超える玉のような群れになるのだけど、イシガキダイの場合は寄り道派だ。一回ダイバーを見に来て、「あぁ、ダイバーですね」という感じでUターン。あっちに寄ったり、こっちに寄ったり、岩陰に入ってみたりと自由な行動をする。
このブダイの群れの場合は、まるで軍隊の移動のようで、何も寄り道無し、一定スピード、列の乱れも無し。
いったいどこへ行くのだろうかと追いかけたけど、ダイバーの空気には限界があり、元の場所へ戻らないといけない。この群れは果てまで行きそうな気配だったので諦めた。

南国のカンムリブダイなどは群れ行動が有名だけど、「ザ・ブダイ」がここまで群れるというのは初めて見たし、聞いたこともない。手持ちの資料にもそんな記述は無く、ネットの検索でも当たらない。
産卵期は夏が中心で、ベラ科特有の雌の放卵と雄の放精が花火が打ちあがるように急上昇して行われるパターン。移動は関係ないように思えるけど、産卵を控えた成熟メスを誘いまくって囲い込み、程よい場所に連れて行こうとでもしてるのだろうか?

たかがブダイ、されどブダイ か?

海は広いな・・・

2022年5月15日日曜日

江戸を支えたボラの群れ

ボラ。というとどんあイメージだろうか。海に近い川、それもコンクリートで固められた小さな溝のような川に異様なほどの群れで現れ「大量の魚が川で群れています」などという報道を思い浮かべるくらいで、ほとんどの人が口にしたことは無いと思う。でもなぜか「泥臭い魚」としてとても有名。都会の小さな川で群れ、ギョロっとして大きな目とムフっとした口、大きな鱗で丸長い魚体は、お世辞にも美味しそう!と思う見た目ではない。思うけど、実際のところはそんな不味い魚ではない、というかとても美味しい魚だ。



伊東の鮮魚店ではたまに見かける。全長40センチ程度のボラは、夫婦二人だと夕食には持て余す大きさ。それが200円くらいなのでおコストパフォーマンスは抜群だ。けど、ヌメリもあるし、硬くて大きい鱗を取ったりするのはちょと大変。近所の古いお宅(古くなくてもだけど)には家の外にシンクがあることが多いのだけど、うん、理由がわかる・・・
この辺では沖ボラと呼ぶみたいだけど、寒ボラという用語もあるみたいで、寒ボラで検索をかけると、もはや高級食材扱いである。ボラの卵は3代珍味のひとつ「からすみ」の元なので、卵を持ったメスが超高級魚なのはわかるのだけど・・・

 江戸時代、ボラはとてもメジャーな魚だったようで、実はブリのように出世魚だ。10センチくらいまでをオボコ、その上の15センチくらいまでをスバシリ、30センチくらいまでがイナ、50センチまでをボラ、それ以上がトド。となる。
ことわざというか、言い回し的な言葉にもボラは結構あって、かわいい子供のことを「オボコだねぇ」というし、「とどの詰まり」はそれ以上は無い、最終的に。という意味に使う。出世魚の活用だ。「粋でイナセな」のイナセはイナの背であって、魚河岸のヤンチャな若い衆に流行っていたちょん髷のスタイルだそうで、現代でいえばテカテカのリーゼントな方を、ロックだ、という表現にでもなるだろうか。あぁ、でも「イナ」の時点で「青年」的な意味合いがあるとするとオジサンロッカーには使えない(または誉め言葉になるか)。

 そんな風に日本語に定着するほど一般的だったボラは、スノーケリングするような浅瀬でウロウロ泳いでいるような魚だ。だから江戸の時代からメジャーなのかというとそうではなく、江戸の食糧事情と将軍様の育ちが関係しえいるようだ。
 ボラは春と秋に物凄い群れになる。ダイバーの間では、バラクーダという南国のカマスの群れにあやかって「ボラクーダ」と呼んでいるものだ。ボラクーダは比較的浅瀬を泳ぐ、特に深場への斜面から一桁メートルの浅瀬になるようなエッジのあたりで遭遇することが多く陸からでもわかるほどで、海面がバシャバシャと異様に波立っているとボラクーダの可能性が高い。
江戸時代には、このボラの群れを見張る小屋が海岸に設置されていて、群れを見つけると太鼓やらで村に合図し、気づいた村人がフォーメーションを組んで複数の船を緊急出動し、ボラの群れを浅瀬に追い込んで一網打尽にしたらしい。伊東市富戸の港の外れには「ボラの魚見小屋」という小屋の再現があるし、ボラ納屋という小屋も保存(というか食堂になっている)されているくらい、ボラの一網打尽は歴史に残されている。
 一網打尽にされたボラは「押送船」(おしょくりぶね)という高速船で江戸へと運ばれて庶民の口に入る。ちなみに、有名な葛飾北斎の神奈川沖浪裏にある細長い船が押送船とのことだ。

このシステムを考えたのは、あの暴れん坊将軍、徳川吉宗だったらしい。元々は田舎の村であり、魚類を含む食料の大量供給が江戸では難しかったところ、紀伊で盛んだったボラ漁を紀伊徳川家だった吉宗が「伊豆辺りでボラ獲って江戸に運ばせればいいじゃん?」的に言ったとか言わないとか。爆発的に人口が膨れ上がった「巨大都市江戸」の庶民の胃袋を支えた重要食材に、伊豆のボラがあったと言ってもいい、かもしれない。

そう思いながら伊豆の水中でボラクーダに遭遇すると、余韻が長くなって面白い(笑)

2022年5月3日火曜日

マナマコの放精と放卵に出会ってあらためて思う


ナマコという動物は動きらしきものが見られない。ただただ海底にいるだけの雰囲気がある。実際は触手を使って海底の何かしらを体内に取り込み、栄養を吸収して糞をしているのだけど、動きがゆっくりなもので物体扱いされがちだ。

 

栄養と言っても、海中に漂う魚の糞だったり腐った海藻や何かの粘液であったり、デトリタスと呼ばれる有機物だ。食べ方は色々で、触手を広げて漂うデトリタスをキャッチしたり、岩の上や砂に降り注いだものを食べる。選んで口に運ぶ訳ではなく、目の前にある砂なら砂ごと取り込む。 一心不乱に食べて、有機物を摂取した後の物を糞として出すわけだから。ナマコの糞というのは食べる前よりも浄化されたものが出ていることになる。

「ナマコが世界を救っている」という人もいるくらいだけど、世界中のナマコが一斉にデトリタスの接種をやめてしまうと、海の世界は変わるのかもしれない…

しかもだ、ナマコには脳が無い。心臓も無い。あろうことか、敵に襲われると内臓を全放出して差し出して満足させるという荒技を繰り出す者もいるのだが、放出した内臓は再生される。脳が無いわけだから「仕方がねぇな、内臓でも食っとけよ」みたいな思考は無く、システムになっているのだろうが、それがさらにミステリアスな雰囲気を醸し出す。

生殖行動はナマコのミステリアスが爆発する瞬間だ。
動きが無さ過ぎて物体扱いだったナマコが、激しく動き、首を持ち上げ、精子や卵を海中に放出する。それも辺り一帯のナマコが一斉に。


ヘビなどが頭を上げるさまを「鎌首をもたげる」というが、そそり立つという言葉の方が合うかもしれない。

2022年は3月29日の午後に放卵と放精が見られた。年に数回の放精抱卵があるようだけど、そのうちの1回だ。人間が海の中に潜っていられるのは限られた時間だし、海は広いので見られるのは貴重な機会だ。


 
この時見られたメスの放卵は1固体。その周辺で複数のオスのマナマコが放精していた。圧倒的にメスの割合が少なく。放精を確認して周囲を探索しても、メスの放卵個体を見つけられないということがほとんどだ。とにかくメスの放卵に出会うのは貴重。
メスがそそり立って放卵するのに比べると、オスの放精はそそり立ち度がイマイチ。どうもこれはホルモンの関係らしい。ナマコを研究する知人曰く「水槽内で人為的に放精抱卵を促すとビンビンにそそり立って首を振る」という。なので誘発ホルモンの関係だろう。目も鼻も、脳さえもないナマコが一斉に散乱するのはホルモンの刺激なんだね。
この時のオスにはやや弱かったかもしれないホルモンを「クビフリン」というらしい。
首振りン。世界共通ホルモン名なのかな?

ただ海底にいるだけのように見えるナマコは、実は素晴らしい生存システムで何千万年も生活している。高度な文明や文化は。ありすぎると余計なものなのかもしれないな・・・